TSR-2 Walk Around(2)

TSR-2(その2)


TSR-2は1957年に開発開始、64年9月に初飛行しています。国内航空産業の総力を結集して(当然起こる政治的な揉め事あれこれを解決しながら)7年がかりで完成させたものです。
 少し遅れてアメリカでも1958年頃から新型戦術機の計画がスタートし、61年にTFXとして開発開始。64年12月にF-111が初飛行します。


F-111E  IWM Duxford




 両機はそれぞれ特徴を持つものの、ほぼ同じ機体規模・性能を持ち、最新の技術を組込んだ高度な=金のかかる機体である点も共通しています。
 金のかかる機体をモノにするには、生産機数を少しでも大きくする必要があります。TSR-2はヨーロッパと旧英連邦諸国であるカナダとオーストラリアをターゲットとします。一方F-111も主な海外販売先にオーストラリアを選び、両者はここで相見えます。




左エアインテーク





左エアインテーク

 主翼付け根下面のスリットに注意




右エアインテーク


 ショックコーンとインテークの間隔を見ると、エアフィックスのキットは72・48いずれもインテークが心持ち扁平です。ここを修正するだけで正面から見た時の違和感がなくなります。



右エアインテーク





インテークから胴体下面を見る


開発当時のTSR-2の配備予定数は国内向けで130~140機程度、オーストラリアの予定調達機数が30機程度でしたから、オーストラリアへの採用が、TSR-2開発計画にとって如何に大きな意味をもっていたかが判ります。一方のF-111は海空軍共用で1700機以上を見込んでいたようです。F-111もこの後コスト上昇に悩み、海軍のキャンセル・開発の遅延・コスト上昇などで550機超の生産で終わるのですが、この時点ではコストメリットで勝負になりません。

 オーストラリア空軍がF-111の採用を公表したのは1963年10月でTSR-2の初飛行前のことです。よく言われているように、TSR-2がキャンセルされたので「やむなく」F-111を採用した訳ではありません。実際は、オーストラリアへの売り込みに失敗した時点で開発に赤信号が灯っていた、と見るべきでしょう。




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